ここは慶山焼の企業ヒミツがつめこまれています。くれぐれも外にはもらさぬようおねがいします⚠️
やきものの制作工程
工程1 つくり
ろくろ 成形法は「ろくろ」や「手びねり」など作品によって作り方を変える。
ろくろは粘土に水をたっぷりつけて遠心力で伸ばし形をつくります
工程2 高台削り(こうだいけずり)
成形後、半乾きになったら底の部分の余分な粘土を削り高台をつくる。高台によって器が軽くて扱いやすくなります
工程3 乾燥(かんそう)と 素焼き(すやき)
乾燥 作品は室内で乾燥させてから天日に乾す。ゆっくり乾かすことでひび割れを防いでくれます
素焼き 水分が抜けて完全に乾いたら600℃の窯で焼きます
工程4 釉掛け(ゆうがけ)
素焼きになった作品に釉をかける。釉は作品に色をつけたり水もれを防ぐ役目があります
工程5 本焼き(ほんやき)
窯の中でどのように炎や空気がめぐるかをイメージしながら作品の配置を考える。窯は1,250度まで温度を上げることで、釉が溶けつややかに発色します
工程6 窯出し(かまだし)
窯を常温まで冷まし、窯を開けます。きれいに焼きあがったかな?
やきものは何からできているの?
粘土 山の土⛰️
粘り気のある山の土(原土)から不純物などをとり除き精製して粘土をつくります。焼物をつくる時には数種類の原土をブレンドし土の性質を調整して使います。
土練りをして粘土の中の空気を抜きます
釉薬(ゆうやく)表面をコーティング🌳
釉薬は焼物の表面に色をつけるうわぐすりのことで、美しく彩るほか水分のもれを防ぐ役目もあります。
慶山焼の釉薬はケヤキの木やお米のモミガラを燃やした「灰」を主な原料にしています。
灰のアクをぬいて澄んだ釉薬にします
炎 総仕上げは窯たき🔥
焼物の完成は「窯(かま)たき」で決まるといわれています。せっかく素敵な形ができても本焼きで割れてしまったり、釉薬の色が思ったように出なかったりすると焼物のイメージが変わってしまうからです。成功を祈りながら窯をたき火が止まり窯を開けるまで緊張の連続。魅力ある焼物ができた時には本当に嬉しいです。
炎を見て窯の中を確認
窯の中の 炎のめぐりや酸素の量によって焼物の色彩が変わります
窯の中に空気を送り込んだ場合
温かみのある紫色になります
空気を少なくした場合
涼し気な水色になります
慶山焼とは?
会津慶山焼は お城の瓦を焼く 瓦窯(かわらがま)としてはじまりました
完成した鶴ヶ城(イメージ図)
文禄元年(1592年)、 会津の領主・蒲生氏郷 (がもう うじさと)によって黒川城の大改修が行われます。その時、お城の屋根瓦を焼くため慶山の地に窯場を築いたことが慶山焼のはじまりとされています。完成した城はこれでまにない七層建ての天守で「鶴ヶ城 (つるがじょう)」と命名されました。
しかし、慶長16年(1611年)の会津地震で鶴ヶ城は石垣が崩れ、天守閣が傾きます。その後 現在の姿である五層の天守閣へと建て替えられ、さらに雪に割れない赤瓦が普及したことで 慶山焼は瓦窯としての役目を終えました。
その後、天保12年(1841年)に会津藩から窯場をゆずり受けてからは、茶器から日用雑器などを製造し盛業します。明治に入ると工業製品のルツボなども手掛けるようになり窯場を守り続けてきました。
現在の慶山焼の器
現在はロクロや手びねりなどによる製作法と灰釉 (はいゆう-)で装飾する伝統を受け継ぎ、職人たちののびやかな発想と工夫で、日常の暮らしが豊かで楽しくなる器づくりに励んでいます。
「焼物は形を作るところから焼き上がるまで多くの工程を経て完成します。使いやすい器に仕上がるように、どの工程も真剣に取り組みます。使い込むほど器が手になじんできたり、表面の色つやが変化するところなども焼物ならではの面白さだと思います。
焼物づくり体験では、ものをつくる楽しさ、ものを大切にする心を感じてもらえるよう指導させていただきます。」
陶主: 曲山 輝一(まがりやま てるかず)