会津慶山焼は お城の瓦を焼く 瓦窯としてはじまりました
文禄元年(1592年)、
会津の領主・蒲生氏郷によって黒川城の大改修が行われます。その時、お城の屋根瓦を焼くために 慶山の地に窯場
をつくったことが慶山焼のはじまりとされています。
完成した城は、それでまにない本格的な七層建ての天守閣で「鶴ヶ城」と命名されました。
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当時の鶴ヶ城 (イメージ図)
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しかし慶長16年(1611年)の会津地震で鶴ヶ城は石垣が崩れ、
天守閣が傾きます。その後 現在の姿である五層の天守閣へと
建て替えられたことで 慶山焼も瓦窯としての役目を終えました。
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会津藩から窯場をゆずり受けてからは、茶器からルツボまで いろいろなやきものを製造し、窯場を守り続けてきました。 現在では、ロクロや手びねりなどによる制作法と、灰釉( 主にケヤキの木や お米のモミガラを燃やした灰を原料としたうわぐすり )にて装飾する伝統を受け継いで、日常が豊かになるような器づくりに励んでいます。
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現在の慶山焼の やきもの
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ロクロ づくり
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手びねり づくり
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「器は使えば使うほど
いい色つやになって、味わい深くなってくるのね。
だから、毎日の生活で楽しんでもらいたい
という願いを込めて、器の制作してるの。
いい表情の器に育っていったら、うれしいよね~。」
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陶主 曲山 靖男 (まがりやま やすお)
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慶山焼とは?
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